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【ファウンダー日記】転機となった2006年 – その1 –

2015.10.26

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コールセンターのビジネスを始めて25年、アルファコムを起ち上げて早や18年になる。
その間いろんなエポックがあったが、振り返ってみると2006年はアルファコムにとって転機となった年だ。

[Conceptis社のメンバー;アルファコムにて] それまでは、米国Mosaix社のプレディクティブ・ダイヤリング・システムやCosmoCom社のASP型ACDシステムの日本でのマーケティングを担当していた。

[Visualty社のWiderman社長:ビッグサイトにて] また、イスラエル国Conceptis社のコンピューター・パズル・システムやVisuality社の組込みソフトCIFSなどの日本支社的な業務も展開してきた。
いわば海外企業の日本マーケットでの水先案内人という役割である。
そんな中、何かブレークスルーできないかと模索していたのが2006年ということになる。

5月、日本に入ってきたばかりで、まだまだマニアックな域を出ないAsterisk ベースの電話システムをLinuxWorld2006に出展し、新世代電話システムのPRに努めたが、ビジネス市場としての手応えを感じることができなかった。
単なる電話だけでなく、コールセンターのシステムとしても必要とされる機能やツールがまだ出揃っておらず、また、システムサイズ的にも本格的に採用できるものではなかった。
当時は私が先頭に立って「 何故Asteriskか? 」ということを必死で説明しているのだが、今から考えると冷や汗ものだった。

Linuxの展示会なので、いかにもエンジニアっぽい参加者だらけだった。
彼らは電話のアプリケーションやコールセンターなどには余り興味ないのか白熱した議論は無かったが、必ず訊いてくるのが「これはAsteriskか?」ということであった。皆が皆そうである。しまいには返事するのも面倒になり、「これらはAsterisk製品です。」という貼り紙を出して凌いだことを思い出す。

Linuxの続編として、6月にはオレゴン州ポートランドにあるIntel社を訪問した。
同社内にあるLinux Foundation …かどうか正確な名称は失念したが…を訪問するためだ。
Linuxカーネルの開発者であるリーナス氏に会えるかもという期待もあったが、実現しなかった。

それでも、”ムーアの法則”をその通りだと再確認できたり、宇宙服を着たようなバニー・ピープルの現場での作業の様子を見学したりしながら、われわれの”仕事や製品の米”がこんな巨大なファシリティから生まれることを実感した旅であった。

Intel社に先立ち Nike本社のスポーツキャンパスも見学した。そこは、ここでは説明しきれないほどの楽しいスポーツ天国 !!
そして、タイガーウッズが初優勝したコースでGolfを楽しんだり、いかにもアメリカ的な料理を堪能したりと、実にラグジュアリーなツアーだった。

こんな素晴らしいツアーを提供してくれたのは、成田‐ポートランド間のダイレクト便を開設したNorthwest Airlines。観光以外では、NikeやIntel或いはコンベンション・ビジネス関連をアピールする一環でLinuxのグループを招待してくれたのだ。お蔭でビジネスクラスでのゆったりしたフライトが楽しめたことは言うまでもない。

関係者を除くと参加者は5名のだったが、私以外の皆さんは20~30代の若者。還暦前の私に「今回はどういう関係で参加ですか?」と異口同音に不思議そうに訊かれた。「コールセンター業界の代表として来ました。」と答えたら、皆さん何の仕事か分からないながらも何となく納得してくれたようです。主催者から「人数合わせもあるので是非出てください。」と依頼されていたことは伏せたままで。

転機の2006年はまだ続きます。