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【ファウンダー日記】転機となった2006年 – その2 –

2015.12.24

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この年はよく出張(旅行?)していた気がする。

ポートランドから帰国した翌々日には九州の製薬・通販会社を訪問させていただいた。
過去の反省をもとに、お客様に愛されるテレマーケティングの再構築を目指されている真摯な姿勢や、人々の生活を健やかに幸せに彩っていきたいという願いを込めた「薬彩工園」と銘うったきれいな庭園工場も見学させていただいた。

そして、8年ぶり2度目の韓国である。
何故かアメリカに続き今回も招待旅行だった。今度の招聘理由は、東京地区からの企業ということで依頼された。(そう言えば、西日本からの参加企業が多かった気がする。)

韓国は日本の人口の半分以下で経済規模も3分の1以下、「輸出立国」を標榜している京畿道が主催するアゴアシ付き商談会に招かれた形だ。

宿泊地のスウォン(水原)でサムスン電子の本社を訪ねた際には、我々に対する見事なプレゼンや期待以上の応対振りに感心。元気のない日本のメーカーが追い抜かれるのもさもありなんと感じた。1960年代に日本の電気メーカーで学び、69年に創設した韓国の会社は、30有余年で日本に追いつき追い越したことになる。

光教テクノバレーではこれはと思う商談ができなかったが、華城や民俗村など韓国の文化遺産に触れることができ、最先端テクノロジー企業の訪問体験を楽しむことができた。
当時のメモを見ると、李健熙氏の”Change everything except your wife and children.”と言う言葉があった。なにこれ!と思ったけれども…良くも悪くも韓国ビジネス界NO1のモーレツ振りを物語るフレーズである。
今では当時とは状況が変わってきているのは言うまでもないことだが。

スウォンでは成果がなかったので、ソウルで再度の商談会に臨んだ。(何せ招待なので主催者主導型である。)
そこで出会ったのが通話録音システムのVOISTORE社だった。
その場は説明を聞くだけで終わったのだが、帰国後同社から日本での販売に協力してくれるよう要請があった。
社長に対しては、日本での販売においては品質やサービス面でそれなりの覚悟が必要であること、簡単にはマーケットに受け入れられないことなどを説明し、一旦は断ったが、それでもやりたいというので、先ずは日本のコールセンター業界を勉強してもらうこととし、「第7回コールセンター/CRMデモ&コンファレンス」をじっくり見てもらった。

翌年1月にはVOISTORE社やそのユーザー企業を訪問し、システムの性能や運用実態を調査したり、3月には日本の代表的なコールセンターベンダーやユーザー各社向けの内覧会をしたりして、徐々に日本での販売の可能性の確信が得られるようになってきた。
その後も両者で何回も話し合いを重ねた結果、日本でのマーケティングを決断した経緯がある。

そして、2007年11月には「第8回コールセンター/CRMデモ&コンファレンス」に出展し、初めてのお披露目をすることができた。
その後は紆余曲折を経ながらも順調に売れ始め、多くの代理店企業様のご協力を得ながら、全国規模での納入や24時間稼働のお客様への導入などを実現した。

ところで、転機…とは2つの意味がある。
1つは、欧米のシステムから隣国のソリューションを取り扱うことになったこと。2つ目は、今までの取引がもっぱら「海外企業の日本マーケットでの水先案内人」であったことから、自らがマーケティングし、販売から納入・保守まで一貫した体制での取り組みになったことである。

こうした活動や実績が評価され、韓国の超大手企業との業務提携に発展し、日本のマーケットにMobile時代の最新システムや新たなソリューションの提供をすることに繋がった。
そうした転機が2006年だった。

この転機のきっかけとなったVOISTORE社の初代社長Lim氏が9月に早世された。

本年11月の「コールセンター/CRMデモ&コンファレンス2015」(第16回)には、2代目のLee社長を迎えて新しいVOISTORE社の門出を広く日本の関係者の方に知っていただく機会となった。