【ファウンダー日記】「なにを遺せますか」建造物 その4
2014.10.25
ブログ毎日、神田近辺から京橋・銀座辺りまで通っているが、その道すがら気になった遺産的な建物について紹介したい。
神田、江戸橋ときて、前回は改築中の明治屋のビルだったが、今回は京橋のシンボルの復活と戦前からの銀座のビルを紹介して、このシリーズを終わりたい。
1980年代の半ば頃であろうか、私のお客様が京橋にあった。
Tインキ製造さんとH時計店さんで、営業訪問の合い間にこの辺りでウロウロしていた記憶がある。
その当時目についたのが、Aビール会社の看板を掲げたこのスマートなビルだ。
しばらくして、この会社からスーパードライの超ヒット商品がでたので印象に残っている。
87年だったか、某商社のロンドン支店の招きでイギリスのセキュリティ・システム会社へ出張する機会があった。
現地の担当からは何と「余計な土産は要らないので、今話題のスーパードライを運んできてくれ」とのこと。私はロンドンに着いたらPUBで本場のビールをたんまり飲ませてもらうことを交換条件に重い荷物を携えて行った。
既に日本の新聞の現地印刷が始まっていたようで、皆さん日本の情報は細かなところまでキャッチアップされていたことに驚いた。
このビルが最近になって建て替えられたので知ったことだが、ここはもともと第一相互館で、第一生命の前の本社でもあった。
辰野金吾博士の最後の建築物として大正10年に竣工、関東大震災や東京大空襲にも耐え抜き、昭和建築の象徴的存在だったらしい。
昭和44年まで建っていたとのことだが、私は同年に上京してきたばかりの新入社員で、残念ながらこの建物を知る機会がなかった。
そして最近、三代目相互館として再び建て替えられたのが、左の写真である。(今年の夏頃の写真)
第一生命創立110周年にあたり「相互館110(いちいちまる)タワー」とネーミングされたらしいが、私の周りでは(私も含め)誰もそのことを知らない。
また、このビルは本邦初「足元商店街付の事務所建築」の再来とのこと…下駄履き住宅という言葉は昔よく聞いたが「足元商店街付」とは初耳!?
本邦初ということは、この後に建てられた旧丸ビルなどにも大いに影響を与えたであろうことは想像に難くない。
銀座通りから京橋方面、
第一相互間館の眺め、今昔…
昔の京橋 … 親柱が4本はっきり見え、川沿いには木造建築物も未だ残っている。
京橋川は今は埋め立てられ高速道路となり、ここに橋が架かっていたとは地名から想像するしかない。
左は、小雨そぼ降る先日夕方の写真。
奥は日本橋で、コレド(元白木屋のあと)や建築中のビルが見える。
何度か昔の絵はがきのアングルに挑戦したが、素人写真ではこんな程度。
京橋は歌舞伎発祥の地でもある。
今年3月の歌舞伎座新開場記念「GINZA 花道」の‘お練り’はここから出て、4丁目までが華やかな門出の花道となった。
さて、建物シリーズの掉尾として、右のビルを紹介したい。
この写真は2年前に撮ったものだが、今も変わりなく昭和モダニズムの郷愁を感じさせる建物だ。
この写真でも分かるように、元もと同潤会系感覚のモダンなアパートメントだったが、今は表札のようにギャラリービル(?)になっている。
建物内部に入ると昭和初期の構造やインテリアが楽しめるようだが、私にはこれ以上奥に入ることがためらわれた。
この住宅団地にあるような郵便受けを眺めているだけで十分に楽しめる。
ところで、最近の映画「ALWAYS 三丁目の夕日」では、再現された下町風情が楽しめるが、都会の雰囲気をリアルに垣間見ることができるのは、何と言っても昭和30年から40年代当時の映画だ。
有吉佐和子の「不信のとき」(1968)の銀座のバーやクラブの様子、川端康成の「東京の人」(1956)に出てくる銀座界隈などは、演出があったとはいえ今となっては貴重な記録フィルムの価値があるだろう。
上の「黒の試走車」(1962)が、わざわざ都心をテストドライブするとは如何にもフィクションだが、何故かワクワクする物語になっている。
昭和生まれとしては、昭和の雰囲気に浸れる映画をこれからも観続けるつもりだ。
時あたかも、九段下の昭和館では「昭和の東京をたずねる」写真展が開かれている。一見の価値がありそうだ。
http://www.showakan.go.jp/events/photo/past/puqor800000cpfec-att/tokyo_showa.pdf