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【ファウンダー日記】「なにを遺せますか」

2014.05.08

ブログ

何か月前に、ある図書館で書籍の入れ替えに伴う除籍本を貰ってきた。
その中の1冊に中野孝次さんの「何を遺せますか」という単行本があった。15年くらい前の上梓で、彼が亡くなる数年前の作品のようだ。
“残す”ではなく、後世にまで”遺せる” ものがありますかという問いかけにドキリとして読んでみた。

前段では、日本人は何でも見境なく壊して捨ててしまうが、欧米では旧いものに価値を見いだしキチンと遺していると言うような論調であった。
最終的には、遺せるものは物質的なモノや勲章、金銀財宝ではなく、文明や文化であり、人の心の持ちようや生き方、人格であるとのことだ。
ISBN:4532163056

ハイレベルの議論はここでは置くとして、素直に共感できたのは遺産、それも身近な形見分けのくだりである。
「形見分けはじめて嫁の欲が知れ」
「泣きながら眼(まなこ)を配る形見分け」
「泣き泣きもうかとはくれぬ形見分け」
こんな戯れ言の紹介に思わずニンマリ、納得…

 

さて、私も家内も既に両親は亡くしている。
形見分けというほどの大層なものではないのだが、生前使っていた幾つかのモノを貰って重宝して使っている。
以下、自分ものがたり。
実父は工務店をやっていた。
戦前からの大工であったが昭和24年(1949年)に肺結核で亡くなっている。
当時2歳であった私は写真でしか父の顔を知らないのだが、どういう訳か父の使っていた巻尺が私の手許にある。
Fine & Durable Tape Line Coverと刻印された革カバーの頑丈なモノだ。普段は市販のメジャーを使っているが、不動産物件などをチェックする時にはこれを持参し定尺とどの程度違う畳であるかなど、実寸を測っている。
このテープは優れもので、CM尺と寸尺のリバーシブルになっている。CMで測ってもいいのだが、寸で測っているとそれを見た不動産業者の顔付きが変わるのが分かる。建築関係の専門家と勝手に間違えられ、訊いてもいないことを語りはじめた例もあった。
その父が亡くなって2年後には、結核予防法が制定され、結核の特効薬ストレプトマイシンが普及して結核で亡くなる人が激減した。
父の遺作は滋賀県の長浜にあった映画館と聞いている(今はもう無いとのこと)。
一方、義父は6年前に亡くなった。
享年93歳だった。
義父のまだ下ろしていなかった下駄を分けて貰い、週1回の愉しみである銭湯の往来に使っている。
冬でも素足で履き、指でキュッと緒を絞めて歩くのは何とも気持ち良いものだ。
舗装されている道では、カランコロンという下駄の音がよく響く。ただしいつも同じカランコロンではない。歩き方、足の上げ具合で違う音になる。今日は元気に歩けているとか、足が上がっていないとか、音で気付かされる。雨の日はカランコロンとは響かない。音は道路の環境でも変わるのだ。
これを2年ほど愛用しているが、どうも歯の外側が片減りしてきたようで歩き難くなり音も良くない。どうしたものかと試案していたら、下駄は靴と違って左右がないことに気付いた。これまでは何となく鼻緒の履き癖で左右を決めていたが、今は左右逆に履き替えて片減り調整している。
「雪の朝 二の字二の字の 下駄の跡」…女流六歌仙と言われる田ステ6歳のときの作とのこと。
文字を習い始め、何にでも興味があったのだろう。下駄が雪の上に描く「二の字」に思わずこんな句を詠んだものと想像される。
今年は東京でも雪の量が尋常ではなく、
「二の字」の体験は無理だった。「二の字」を書くのは1、2センチの新雪が丁度良い。

下駄にまつわる言葉も興味深い。
[下駄を預ける、下駄を履かせる、下駄を履くまでわからない、下駄替わり、下
駄履き住宅、下駄の入っていない下駄箱、ゲタさん(?)… ]

義母のモノでは、やはり着物関係だろう。
それもタンスごと。中味が選別できないので、そのままもらってきたのが実情だ。
今住んでいるところでは置き場に困り、別の場所で保管している。
桐箪笥は虫が食わないと聞かされていたが、土台の一部がやられていた。良いものと聞いていたが、全てが焼き尽くされた戦後間もなくの作だから総桐製とはいかなかったようだ。

「何を遺せますか」では、古いものを捨て無暗に新しいもの設えることを悪習としているが、一方で「断捨離」のススメもある。
この大型形見は悩みどころだ。

実母は2年前、白寿の誕生日の前日に亡くなった。正確に表現すれば、キッチリ満99年間を生きたことになる。
某県知事からの長寿祝いの扇子…ま、これは良いとして、その付属物の扇子立てがあったので見てみると、丁度スマホをセットするのに都合良い。今までのものは下に延びるコードが上手く捌けなかったが、これだとちゃんと納めてくれる優れものだ。

中野孝次さんは著書の終わりの方で、白洲次郎がプリンシプルに忠実だった人物として紹介している。
プリンシプルは、状況や関係が変わるたびに意見や態度がころころ変わるのではなく、どういう状況にあっても一貫性を与えるものとのこと。
ケンブリッジ仕込みの英語を駆使する白洲次郎は、占領軍という圧倒的強者に対しても明確に意見を主張し、考えが違うと堂々と議論し合うジェントルマンの気骨を持っていた、と。
ISBN:4101288712

 

本稿では、「何を遺せますか」から「形見分け」路線に脱線しっ放しであったが、果たして私自身は何を遺すことになるのだろうか、今のところ何の確信も持てず悔しい限りである。何かをしなければ!という焦燥感に駆り立てられている日々であるが、先ずは元気なだけが取り柄と喜び慰めている。