【ファウンダー日記】二都物語
2013.05.16
ブログ4月にマラソン爆弾テロ事件のあったボストンは、私の世代ではミニコンのハブとしての印象が強く、今でも西のシリコンバレーと並びITの「二都物語」として語られる。
1970年代から80年代にかけては、ルート128沿いにDEC、DG、WANGなどのメーカーが群立し、全世界にミニコンを供給する一大ハイテク産業都市であった。
チャールズ・リバーを挟んで、手前が旧市街地、対岸がMIT、左奥がハーバード
水平分業型のIT集積地と言われるシリコンバレーとの違いは、一社でソフトからハードまで、材料から製品までの全てを作り出す垂直統合型の伝統的ビジネスモデルであった。
そのクローズドな企業姿勢が、オープンな技術の交流・合体などによって次々と素早く新しいアイデアやテクノロジーを生み出していくシリコンバレーの後塵を拝することになる。
ボストンの会社で思い出すのは、チャールズ・リバーDS社。
同社のリアルタイムOSマシンを使い、シアトルで音声ボードを搭載して製品化されたのがプレディクティブ・ダイヤリング・システムのVoicelinkである。
この製品を、日本初のPDSとして1990年に発売し、ベストセラーになるまで手掛けられたのが、私のコールセンター業界との関わりの始まりとなった。
もう一つ思い出深いのが、上海交通大学を出てアメリカにやってきたDr. An Wangである。
彼は磁気コアメモリの特許で資金を得、WANGラボラトリーズを創設し、技術計算用コンピュータで基礎を築き、その後クライアントサーバ型のワード・プロセッシング・システムで北米を席巻、70年代後半にはダブルバイト圏の日本にも進出した。
その快進撃の一端を支えられたことも、時代と共に歩んで来られた感慨の一つである。
Dr. Wang(1920-1990)の著書
「戦略はシンプルなほど成功する」(原題「Lessons」)
ISBN:9784478340127
ボストンはアメリカン・フロンティア発進の地と言える。Independence Dayの7月4日、1976年の建国200年祭では、アメリカンドリームを実現した東洋人移民の代表としてDr. Wangが顕彰されている。
さて、弱体化の一因となったボストン型垂直統合ビジネスモデルだが、近年のIT業界では新しい形の垂直統合サービスが求められている。
現代の企業は、激変する経営環境やグローバル化への対応に迫られている。
ITサービスに対しても、サーバー、ネットワークなどとミドルウエアやアプリケーション、あるいは保守・運用サポートまでをも一元的に提供でき、ユーザの事業展開と共に進歩する広義の垂直統合型サービスの期待が高まっている。
プライベート・クラウドやビッグデータ収集・解析など、経営課題に対応するソリューションを総括的に提供できるかが「これからのシステムプロバイダー像」になる。
Dr. Wang(65才)と中尾 (38才)のツーショット(1985年 )