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【ファウンダー日記】傘を貸してくれる銀行 !?

2015.06.16

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9.11同時多発テロ事件で崩壊したWTCの跡地に9年の歳月をかけて建てられた超高層ビル「One World Trade Center」の展望台が、一般向けに先月オープンしたようだ。
尖塔の天辺までの全長1776フィート(541m)はアメリカが独立した1776年に因んだものとか。
東京スカイツリーが武蔵に因んだという634mよりも納得性がある。

One World…。
最近は”One何がし”というキャッチフレーズをよく聞くような気がする。具体的に何かと言われても直ぐには浮かんでこないが、いつも通う銀行にそのフレーズがあった。
「One MIZUHO」だ。

同行のホームページによると、みずほ銀行とみずほコーポレート銀行の合併によるシナジー効果の早期実現がそのキャッチに込められているようだ。
「両行にまたがるクロスマーケティングで成果」、「市場関連シナジーを前倒しで実現」、「本部・事務部門の一元化・証券合併・人員削減等」などと、「ワンバンクシナジー」を証券合併シナジーも併せた「One MIZUHOシナジー」に高めたいとのこと。
One MIZUHOコンセプトの詳細は同行の資料にあるので省くが、その中で、顧客志向という言葉は書かれているが、顧客にとってのメリットや利便性が今一つ明確でなく、顧客視点に欠ける行内・グループ内論理が優先された「New Frontierプラン」の印象が強い。

http://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/financial_group/siryou/20150526/01.pdf

さて、「晴れの日には傘を貸すが、本当に必要な雨の日に傘を貸さない。」と、昔から銀行業を揶揄した言葉がある。
以下は私自身の体験談である。
雨の多かった今年3月のある日、急に降り出した雨に店頭で困ったような素振りの私を見かけた品の良さそうなロビー担当の方が声を掛けてきた。
何事かと身構えたが、「傘をお貸ししますよ。」という思いがけない言葉に、一瞬エッと思った。何となくうなずいて待っていると、ビニール袋に包まれた未使用のきれいな傘が出てきたではないか。

「エッ、貸していただけるのですか!」と反応したら、また驚きの言葉が、「お返しはご都合の良い時で結構です。当支店でなくてもどの店にお返ししていただいても構いません。」…何ということだ、という感動に満ちた顔をしていたら、また追い打ちがあった。「お気に入られたら、ずっとお使いいただいても結構ですよ。」というのだ。ギャフン…

こんな優しい対応に接すると、却って恐縮し、翌日には早速そのお店に返却しに行った。私のことに気付いてくれたフロアー係員に丁寧にお礼を申し述べたことは言うまでもない。
“Customer Experience !!” なexperienceであった。

尚、カサをカネに置き換えてもう一度このストーリーを読んでいただくと、本当に嬉しいドキュメンタリーになります。

ただ、同じ銀行で本業にまつわる悲しいexperienceもズーッと記憶から消えない。
もう17、8年前になるだろうか。新しく購入する住宅資金のローンを、すでに別口の住宅ローンを借りている(給与振込口座のある)都心の支店に申し込んだところ、見事に断られた。曰く「ウチの支店は事業資金・法人中心で住宅用の小口ローンは余程のことが無い限り取り扱わないという(支店長の)方針」とのこと。与信上の問題があるとかなら納得がいくが、今まで聞いたことも無い”方針”といわれては疑問が湧くばかりだ。現にローン口座を開設しているのにだ。結局、不動産会社と提携している別の銀行に新しく口座を作り融資してもらったのだが、入金がある口座ではないので資金移動などで面倒な返済手続きが長らく続くこととなった。
それから2年後、旧い住宅借入金の一括返済を申し出したところ、今度は「まだ返さないで」の一点張りで、結構な抵抗にあったのには唖然とした.
方針(或いは支店長)が変わったのか !?
銀行は、「貸すときには渋るが、返すときはもっと渋る」仕事なんだ。

この銀行の沿革は、明治6年(1879)設立のわが国最初の銀行である第一国立銀行まで遡ることができる。
現在のみずほ銀行兜町支店に、その歴史が刻まれた「銀行発祥の地」のプレートがある。

初代の頭取である渋沢栄一に関連する本が、我が家の書棚に1冊だけあった。その講演録の中にある一節を紹介しよう。
「余は本年(大正二年)もはや七十四歳の老人である。それゆえ数年来なるべく雑務を避ける方針を取っているが、ただし全然閑散の身となることができず、まだ自分の立てた銀行だけは依然、その世話をしているという次第で、老いてもやっぱり活動をしておるのである。すべての人は老年となく青年となく、勉強の心を失って終えば、その人は到底進歩発達するものではない、…」(国書刊行会「論語と算盤」より)

銀行業を創案・創業し、91歳まで生きた渋沢の信条は到底マネできるもので無いが、その気概は見倣いたいものである。