【ファウンダー日記】私の履歴書

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日本経済新聞を長年に亘り購読しているが、大体は1面の見出しをチェックしたのち、大きく引っくり返し、最終面の「私の履歴書」や「交遊抄」を見ることが習慣になっている。
「交遊抄」ではたまに存じ上げている方が執筆されたり紹介されたりするので、気になっている。
また、「文化」欄も和める内容が多く、肩が凝らずに読み流しできるので、好きな企画の一つだ。

さて、最近の「私の履歴書」は、ノーベル賞の大村智氏、吉野家の安部修仁氏、ゴルフの樋口久子氏だ。
以下、それぞれの掲載初日から言葉をいただく。

8月の大村さん:
『普段の講演は1時間くらいで2回ほどジョークを入れるが、ノーベルレクチャーはまじめ一本で通した。こだわったのはポリシー、つまり研究にのぞむ自分の考え方と、カルチャーの話を入れることだ。日本の茶の湯のスライドを映し、「一期一会」という言葉を紹介した。』
『ノーベル賞を受賞できたのも人との出会いを大切にしたからで、この言葉には特に強い思い入れがある。出会いを感じない人、出会っても生かさない人もいるが、袖振り合う縁も生かすというのが成功のもとだ。』

2015年ノーベル生理学・医学賞の発表直後に訪れた北里研究所本館では、歴代所長に同氏の名前を見つけることができた。グッドタイミングで印象に残った[博物館・明治村]めぐりであった。

9月安部さん:
『危機の度に向けられる言葉がある。「単品経営だからリスク管理ができていない」。だが、それは間違っている。単品だから品質を極め、際立った業績を上げ続けたのだ。単品経営はリスクテイクであり、独創性の高い絶対的な価値を生み出す。』
『吉野家は不思議と申(さる)年に大きな節目を迎える。』

入社12年目の80年申年に倒産。次の92年には親会社になったセゾングループの経営問題で急遽42歳で社長の椅子に。2004年は米国でのBSEで牛丼販売中止。その12年後の今年、発祥地の築地店が豊洲移転を今月に予定していたが…。

アルバイト入社で62歳だった阿部さんは、同じくアルバイト出身の43歳の若手を3年がかりで口説き落とし後継社長に指名した、という4年前のことを振り返った最終回のくだりも胸を打った。
「たかが牛丼、されど牛丼」だ。

私も新人サラリーマンのころ、今でいうSL広場の北東角にあった吉野家でお世話になった。
また、当時ピッカピカでオープンしたニュー新橋ビルのサウナで一晩を明かしたことも度々であった。今ではすっかり”お父さんのテーマパーク”化しているご当地だが、東京オリンピック後のプロジェクトとして西口駅前(赤で囲われた地区)が再開発されるとのこと。ニュー新橋ビル50年の歴史を噛みしめておきたい。

10月の樋口さん:
『大会前から注目選手が「金メダル確実」などとメディアに取り上げられるのをみると「もう少し静かに見守ってほしいな」とちょっと気の毒に感じたものだ。 (~中略~) 勝負事は水もの。私はプロゴルファーとして通算72勝(国内69勝、海外3勝)を積み重ねたが、心底そう思う。 (~中略~) 「ごめんなさい」と謝る吉田沙保里さんの涙顔は痛々しかった。主将も務め、とてつもないプレッシャーがあっただろう。』
常勝が当然と思われていた彼女が、自分の現役時代とダブらせて語り、自身も決して順風満帆の航海ではなく、『私が愛唱するのは美空ひばりさんの「川の流れのように」。その歌詞みたいに、でこぼこ道や曲がりくねった道を歩んできた私の人生』と振り返っている。

8回目の記事に、全米女子プロ=メジャー初制覇の77年、PL CCで開催の日本女子プロで岡本綾子選手らに競り勝ったことが書かれている。
当時、私はPL教団の塔やPL花火大会が遠望できる泉北ニュータウンに住まいしていたので、リアルで観戦していた。人気が出てきた剛腕・岡本選手のスイングとショット音にびっくりした記憶が思い出される。

60年に亘る「私の履歴書」の中で、ゴルファーが何人くらい登場しているのかチェックしてみた。
83年宮本留吉、06年ジャック ニクラウス、10 年青木功、13年岡本綾子、14年トム ワトソン、そして今年の樋口久子の各氏だ。
10月に日本人初の世界ゴルフ選手権シリーズを制覇し、世界ランキング6位になった松山英樹選手が、4,50年後にはここに登壇するだろうか…。

ということで、この3ヵ月は、私にとって馴染みやすい方々の登場で「私の履歴書」を楽しませてもらった。

 

ところで、殆んど使い道の無くなった自宅の固定電話をそのうち廃止しようと思っている。同時に、新聞”紙”の購読もどうしたらよいか悩んでいる。

新聞は、かってのように朝一番で最新の出来事をチェックするものではなくなっている。今では電波媒体で何でも素早く報道されるし、電子媒体、なかでもスマホは速攻で必要な情報を知らせてくれるので、”朝一”の大切な情報源というようなイメージが遠のいている。
昔は知識の宝庫であった。弁当箱を包む便利なものであった。畳の下にも必ず敷いていた。紙兜を作って遊んでいた。ティッシュペーパーと交換してもらった。
今は資源ごみとして出すだけの存在である。

団塊世代が完全卒業する6年後(73‐75歳?)に新聞”紙”存亡の危機が来そうだ…というような記事をどこかで見かけたが、果たしてどうであろうか。

コールセンター業界では、コンタクトチャネルとしての電話は無くなると言われ続けて久しいが、いまだに最大のチャネルであり、如何に応対効率を上げながらお客様に満足していただけるかが各社の課題になっている。また、通販業界でも紙媒体(カタログ)が無くなると言われているが、なお最強のプッシュメディアとして健在である。
新聞の紙メディアは如何なものであろうか。
「たかが新聞、されど新聞」かな!?

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