【ファウンダー日記】「お・も・て・な・し」の蹉跌

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2020オリンピック東京開催のニュースで沸き返った昨年9月であったが、その数ヶ月前に日本初のスモールラグジュアリーホテルと言われた「ホテル西洋・銀座」が惜しまれつつ26年の幕を下ろした。バブル時代の象徴のようなホテルであったが、一時は世界の著名人に愛されたようである。

この2つの出来事を見つつ11月に亡くなったのが、セゾングループ創業者で、辻井喬のペンネームで知られる堤清二氏だ。彼は西武創業者の堤康次郎氏から流通分野を引き継いだが、単なるハード事業ではなく「生活総合産業」を旗印に独自の事業文化を築き上げてきた。西武流通グループをSAISONという風雅なイメージのグループに仕上げてきたアーティストだった。

ホテル西洋は彼のソフト事業の集大成というべきもので、何百室もあるファクトリーホテルに対しサービスの行き届く範囲の77室で「コンシェルジュとバトラーがゲストおひとりおひとりに合わせたきめ細やかなサービスと心を込めたおもてなしで皆様をお迎え」(HPより)することを目指してきた。また、芸術家経営者として劇場や映画館も併設し、評判となったレストランも含め、小さいけど文化の薫り高いホテルを銀座という地で実現したのである。

「小規模なホテルだからこそ目指した真のおもてなしでお客様をお迎えしてきた」(HPより)のだが、セゾングループの解体とともに26年でクローズせざるを得なかったことは、「おもてなし」するということの難しさを思わされてしまう。

今回の東京招致で、日本語で「お・も・て・な・し」と訴えたことが、果たして本当に世界に伝わったのか、答えは否と言わざるを得ない。エキゾチックな印象は残したかもしれないが…。オリンピックを迎える我々はどう「おもてなし」すればいいのだろうか。

先の1964年の東京オリンピックは高校3年生の時で鮮烈な記憶がある。
世界の人々に敗戦後の復興を見てもらい、持てる限りの英知を結集していろんな施設を建設、新幹線を同時開業し都心の高速道路も造ってしまった。また、寸時も違えない運営が賞賛を浴び、まだ貧しかったが国民が誇らしい気持ちになり、アジアの代表として日本人の士気が一番高揚した時だった。その時はおもてなしの合言葉こそなかったが、このような国全体の努力で精一杯の「おもてなし」ができたように思えた。

ところで、堤さん父子には愛着がある。
父親の堤康次郎氏は、私の故郷である滋賀県の出身で地域随一の名士だった。中央の実業界では「ピストル堤」の異名で東急の「強盗慶太」と並称されていたが、地元では「ドテ康」(堤⇒土手⇒ドテ)の愛称で親しまれていた。
息子の堤清二氏は、池袋の旧丸物百貨店をPARCOに衣替えし新しいショッピングセンター業態に挑戦したり、日本初のOCRレジを導入し品番管理を徹底したりと、暗黒大陸と言われた流通業界をリードする一方の旗頭であった。
PARCO開店の手伝いに駆り出されたり、江古田の倉庫兼機械室でOCRの読み取りミスが無いかチェックし、翌朝には売上データが配信できるように徹夜で寄り添ったことも今では良い思い出となっている。私が新入社員の昭和40年代半ばの頃である。江古田の倉庫は建て直され、セゾンカードの最新鋭コンタクトセンターに変貌しており、ご縁は今も続いている。

以下蛇足…
当時は東急と西武は不動産業以外でもいろんなビジネス分野で張り合っており、スーパーマーケット業界でも例外ではなかった。何故か、一方が東光ストアで他方は西光ストアと同じようなネーミングでライバル意識を剥き出しにして競っていたことを思いだす。今の東急ストア、西友ストアのことである。

「ホテル西洋 銀座」が惜しまれつつ閉館。 さようなら、また、いつか。

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